「半日の放浪」(高井有一)

「老いの寂しさ」を考えさせられる一篇

「半日の放浪」(高井有一)
(「日本文学100年の名作第8巻」)
 新潮文庫

息子の家族と暮らす老後。
これより良い解決策は
なかったと思っている。
私と息子と双方に対する
妻の気遣いには、感謝している。
それなのに、
自分の持ち物を無体に
取上げられたような
虚しさに加えて、
憤りまで湧くのは何故…。

誰しも避けられない「老い」。
近い将来、自分にもこのような心境が
訪れる日が来るのかと、
半ば不安な気持ちが沸き起こりました。
高井有一の短篇、「半日の放浪」です。
四年前に退職した元会社員の「私」。
息子から提案された
二世帯住宅建築のため、
現在の持ち家を取り壊す日を
明後日に控えたある午後、
気晴らしのために出かけた
「私」の心に生じた思いを、
そのまま記録した
「私小説風」の作品です。
では、「私」の心に生じた思いとは
どんなことか?

「不満」です。
あるいは「いらだち」です。
それも何か理由があるわけではなく、
行く先々での人々の言動に
「不満」や「いらだち」を
感じているのです。
時系列で追っていくと
次のようになります。
①昼食に立ち寄った店で目にした
 三人連れの初老の男たちの
 会話に対して、
②二世帯住宅を提案してきた
 息子の言い分について(回想)、
③かつて世話をした画家の個展での、
 画家の対応について
④入院している叔父の
 あれこれについて(回想)、
⑤四年前の
 退職の日の午後について(回想)、
⑥叔父と「私」の息子との
 思い出について(回想)、
⑦偶然行き会った元後輩との
 会話で思い出した、元部下との
 苦い思い出について(回想)、
⑧会話を終えて立ち去った
 元後輩の歩き方について、とまあ、
その日に遭遇した出来事(それも
別にいらだちを感じなければ
ならないようなことは
何一つ起きていない)だけでなく、
思い出して「いらだち」を感じるなど、
普通ではありません。

いや、普通なのかも知れません。
退職した人間にとっては。
退職していない私に
想像できないだけなのかも知れません。

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寂しいのでしょう。
①で落剥した一人に情けをかけていた
男たちに感じた怒りが「寂しさ」なら、
きちんと筋を通して切り出してきた
息子の提案(②)を素直に
受け入れられなかったのも
「寂しさ」であり、
何ら失礼とも思えない
画家の対応の仕方に腹を立てているのも
「寂しさ」のなせる技なのでしょう。

注意深く「私」を見てみると、
「天気の悪い日以外は、
昼食は外でする」
「銀座へは、一週間か十日に
一度の割合で出て来る」のですから、
かなり恵まれた境遇にいるのでしょう。
しかも若い頃に現在の家を建て、
再び退職金を活用し(息子も出資して)
二世代住宅を建てるのですから、
およそ「寂しさ」とは
無縁のような気がします。

本作品は1985年(昭和60年)発表です。
この年に64歳であるならば
「私」は1921年(大正10年)生まれと
いうことになります。
24歳で終戦を迎え、
戦後の高度経済成長期に
充実した壮年期を過ごし、
1981年に退職。
おそらくは会社での仕事が
人生のほぼすべてを占めていた
世代ではないでしょうか。
退職金は大きかったのでしょうが、
退職に伴う喪失感の大きさもまた
現代の私たちには考えにくいほどの
ものがあったのかも知れません。

作者・高井有一は1932年生まれであり、
「私」より若い世代です。
計算すると執筆時は
53歳ということになります。
本作品は「老い」の見えてきた高井が、
自らの目に映る「老いを迎えた人間」を、
素直な気持ちで
書き表したものなのでしょう。
「いい悪い」の判断は一切せず、
そのままを文章にしたかのようです。

私もすでに56歳。
執筆時の作者同様、
「老い」の見えてきた世代に属します。
退職により、
一気に下降線をたどるのではなく、
今から、下り坂をゆっくりと自然体で、
かつ顔を上げ自信を持って、
一歩一歩踏みしめていくのが、
正しい退職の日の
迎え方なのかも知れないと、
ふと感じました。

※それによって喪失感は
 抑えられるのかも知れませんが、
 退職金そのものはこの当時に比較して
 かなり削減されています。
 超低金利により
 貯蓄もあてにできません。
 物質的金銭的な「喪失感」の伴う
 現代であることに、
 一抹の不安を感じます。

〔本書収録作品一覧〕
1984|極楽まくらおとし図 深沢七郎
1984|美しい夏 佐藤泰志
1985|半日の放浪 高井有一
1986|薄情くじら 田辺聖子
1987|慶安御前試合 隆慶一郎
1989|力道山の弟 宮本輝
1989|出口 尾辻克彦
1990|掌のなかの海 開高健
1990|ひよこの眼 山田詠美
1991|白いメリーさん 中島らも
1992| 阿川弘之
1993|夏草 大城立裕
1993|神無月 宮部みゆき
1993|ものがたり 北村薫

〔作者・高井有一について〕
前述したように、
高井有一は1932年生まれの作家です。
「内向の世代」の
作家の一人として知られ、1965年
「北の河」で芥川を受賞しています。
共同通信社文化部記者と作家の
二足わらじで執筆していましたが、
1975年には退社、専業の作家として
数多くの作品を執筆しました。

現在、文庫本の多くが絶版状態であり、
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今日取り上げた「半日の放浪」も、
講談社文芸文庫の作品集
「半日の放浪―高井有一自選短篇集」に
収録されています。

(2022.8.25)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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